東日本大震災からちょうど一年目の日に開催される、次の第23回ゴー宣道場に向けて、昨年の3.11から一か月の時点での道場を振り返る後篇です。
真ん中の休憩が明けた第二部は、小林よしのり代表師範の意向で喋ってもらうことになった、当日参加した3人の方の証言から始まります。
まずジャーナリストの田上順唯氏は、原発が攻撃されたら弱いということを、東電はとっくに知っていたと言います。
重要防護施設への訓練として、原子力発電所に機動隊員を配置して、そこへ入り込んで制御不能にするシミュレーションを自衛隊がしたところ、まんまと成功してしまった、と。
東電はそういうデータを確実に持っている。
また90年の10月28日に美浜原発の近くで北朝鮮の工作員が二名死亡した事件があったけれど、実は拉致事件は原発の周辺地域で起きている。
つまり原発は軍事攻撃目標として、北朝鮮からも既にマークされている。
第一部で小林師範と堀辺正史師範の語った「攻撃対象としての原発」を裏打ちするようなジャーナリストの証言です。
反原発と軍備増強を、これまでのような左右のイデオロギー対決ではなく、国民レベルにおとして考えないといけない……と田上氏は語ります。
そして民間防衛的なことも必要ではないか。民間分野の発想を高めないといけない。
旧軍の予備役制度、徴兵後の在郷軍人会を参考に、警察・消防のOBなどから、郷土防衛隊的なものを作っていく必要があるのではないか。
現に自衛隊でも、地元の人間を地元の部隊に入れようという動きになってきている。
そう田上氏は提言しました。
次は、加藤紘一さんの政策秘書である五反分正彦氏の証言。後にゴー宣道場のオブザーバーとなられる氏は、被災地入りした時のことを話します。
避難所ごとに必要なものがすぐ変わり、田上氏の言うように土地カンがないと行き届いた支援が出来ない。その点、地域のリーダーが非常によく現地の人々をまとめて、それによって心が折れないという実感を持ったという五反分氏。
そして「地元の土地を使って地元の人たちに仕事を与えてほしい」という現地の人々の願いを五反分氏は伝えます。
次は、仙台から来られた、ゴー宣道場にはいつも門弟として参加しておられるAさん。その日も車で東京での道場にやってこられたということですが、途中、道路が波打っていて、被害の大きさとともに「短期間によく整備したな」という感慨を持たれたとのこと。
Aさんは会社の社長さんで、震災直後はガソリンも足りず、車の台数もない中で、原発被害のあったいわき市の支店に、社長である自分が率先して行かなければと思い、なんとか緊急車両を確保して向かったところ、支店の人々から喜ばれ、彼らに「見捨てられるんじゃないかという不安があった」と言われたことを語ります。
そんな非常時の社員との絆による「充実感」に浸されている自分に、Aさんは逡巡する部分もあったといいます。
と同時に、死にさらされた中で「人の役に立つ幸せ」を感じるということは、平和な世の中でのレジャーの幸福にまさるというのは真実ではないかとも言います。
それも含め、ゴー宣道場でやってきたことが震災で顕在化した気がするとAさん。
またツイッターで「東北は復興する必要があるのか」というつぶやきがあり、それを肩書きのある社会学者がRTして広めている現状をみると嘆かわしく、やはり誰かが強力なリーダーシップで束ねていかないと、価値相対主義になるのではないかとAさんは語られました。
以上、3人の方から、国防の観点、現地の実情のレポート、そしてまさにいまそこで仕事をしている立場の証言が出たところで、この上挙手をして発言したいという人はいますか?という司会の笹師範によるハードルの高い振りに応えて、一人の男性が発言します。
この男性は岩手県盛岡のスーパーマーケットの総菜部門で働き、商品が欠乏する中で「いまはこれしかありません」と秩序ある買い物を連日必死に呼びかけ続けたところ、行列を作る人々の中から、かえって励ましてくれる声をもらったといいます。
そして震災後の対応は、中央のセンターではなく、すべて現場から始まっていったということを教えてくれます。
「政府がこうあるべきだ」「世の中こうあるべき」というだけでなく、いまの現場で出来ることをこれからもまっとうしていきたいとこの男性は語られました。
高森明勅師範はこれらの発言を受けて、上から降りてきたものだけでは民間防衛が成り立たない、共同体が機能していないとダメで、逆にそれが機能していればリーダーが自然に出てくると発言。
政府は、日本人がパニックになりやすいから本当のことは隠しておけと思うかもしれないが、それは正しいのか。日本人は意外にしっかりしているのではないか。
いま被災地に出動している自衛隊員一人一人の「自分が引く時は最後だ」という姿勢は、日本人の文化である。そしていま、日本のために一番停電を実践されてるのは皇室であると話をつなげます。
堀辺正史師範は、先ほどの五反分氏の話の中に出てきた、壊滅した地域の中で神社だけがなぜか残っていたという事実に着目し、それは偶然じゃないと言います。
長い歴史の中で村の中心になってきた氏神様は永久不滅でなければならない。天災に見舞われなかった場所に鳥居を立てるという、体験でしか得られない智恵が神社という形で象徴されている。
それはさかしらなロジックだけでは積み上げられない問題。そこをもう一度考え直す天の声として聴く必要がある。
そしていまもまた、天皇陛下は節電の先頭に立っておられる。そのことを、こういう時だからこそ感情的にかつ理性的に考える必要があると堀辺さん。
最後に小林よしのり代表師範が立ち上がります。
震災後集まった義捐金がまだ被災者に届いていない中、一番必要な救援物資を届けるボランティアは本当に尊敬すべき人たちであり、そのことを身に染みて思ったというところから発言が始まります。
テレビの震災報道で遺体が画面に出てこないことと、自衛隊の「災害救助部隊」の面だけ評価するという姿勢は、感覚的に関わっている。
汚い、不快、感情的に際立つところを見せたくない、見せないというデオドラント化した社会。
果たして我々日本人は、災害救助隊としてだけではなく、敵と向き合う殺し合いを含めて自衛隊を認めたのかどうか?
ここで小林さんから、これまでの議論で語られてきた、方や公共心を持った秩序ある行動が出来るのに、方や不安に煽られやすい我々を認識するやり方として「日本人」と「日本国民」を切り離して考えなければならないという重要な認識が語られます。
たとえば震災後に喪に服す思いから自粛ムードになるのは「日本人」としての心性。しかし「日本国民」として考えると復興に向かって経済を動かしていく必要がある。
「日本人の感覚」と「日本国民の感覚」を、うまくバランス取っていかなくてはならないのではないか
震災後照明が落ち着いてきた夜の街を見て、東京はギラギラと必要ない光に満たされてきたのではないかと、そこも考える必要があると小林さんは思ったと言います。
「たいして電気なんかいらないんじゃないか」という発想も含めて考えなければならない。
今回の震災後の対応で、国と被災者の中間にある県はあまり役に立たず、学校区レベルのリーダーしか役に立たないことがわかった。
あれほどガレキになってしまっても、ふるさとをそこで作り直したいという人々の思いを、一番考えなければならない。
その思いで、東日本大震災から一か月後に行われた第23回ゴー宣道場「大震災・有事と国民」は締めくくられました。